イタリア・セリエA。
筆者にとって、フットボールにおけるヨーロッパの強豪チームを知るきっかけを作ってくれたリーグだ。
1998年日本がフランスW杯出場後、少しずつ海外へ移籍していく日本人選手が増えてきた。当時イタリア・セリエAは世界最高峰のリーグだった。そこに日本人選手が移籍していくのに興奮をしたのを覚えている。
実は1998年7月から2018年1月までの19年半、日本人選手必ず1名はイタリアのチームに所属していた。イタリアのフットボールの歴史の中に日本人選手の名は刻まれているのである。
目次
日本人最初のセリエAプレーヤー
1994年、三浦知良選手(現、横浜FC)がイタリア・ジェノアにレンタル移籍で加入した。この移籍で日本人初のセリエAプレーヤーになるとともに、アジア人でも初の快挙となった。
だが、移籍後初の公式戦となった開幕戦でACミランと対戦し、プレー中にバレージ選手と激突し鼻骨骨折と眼窩系神経を損傷する大怪我をしてしまいいきなり離脱を余儀なくされた。
復帰後のサンプドリア戦で、セリエA初ゴールを決めるも得点はこの1点のみに終わった。この1点がイタリアサッカー界の歴史に刻まれていることに変わりはない。日本人選手セリエA初ゴールとして。
セリエAに衝撃を与えた日本人プレーヤー
イタリアで有名な日本人選手といえば中田英寿選手(現、フリーランス)ではないだろうか。
1998年7月、フランスW杯後にイタリアのペルージャへ完全移籍。1998-1999シーズン開幕戦でユベントスと対戦し、移籍後初の公式戦で2ゴールと華々しいデビューを飾った!
1999-2000シーズン冬の移籍市場で、ローマへ完全移籍。イタリア代表でローマのエースでもあるフランチェスコ・トッティ選手とチームメイトになる。
2000-2001シーズン第29節、勝ち点6差で迎えた首位攻防戦となった首位ローマと2位ユベントスとの一戦。ローマ2点ビハインドの後半15分からトッティ選手に代えて中田選手を投入。負ければスクデット獲得が危ぶまれる大事な一戦にこの交代は無謀なように思われた。
しかし後半34分、中田選手の1点差に迫るミドルシュートが決まり、これが反撃ののろしとなる。後半ロスタイムに中田選手のミドルシュートのこぼれ球をモンテッラ選手が押し込んで同点に追いつきアウェーで引き分けに持ち込み、勝ち点6を維持できたことが、スクデット獲得に向けて大きく前進した試合でもあった。ローマは18シーズンぶり3回目のスクデットを獲得し、中田選手は日本人で初めてのセリエA優勝メンバーとなった。
イタリアでプレーした日本人選手は多い。
・ベネチアの名波浩(現、ジュビロ磐田監督)
・レッジーナの中村俊輔(現、ジュビロ磐田)
・サンプドリアの柳沢敦(現、鹿島アントラーズコーチ)
・トリノの大黒将志(現、栃木SC)
・メッシーナの小笠原満男(現、鹿島アントラーズ)
・カターニャの森本貴幸(現、アビスパ福岡)
※敬称略,最初に所属したイタリアのチームを記載。
しかし、中田選手以上の結果を出した選手はまだ表れていない。
1度だけ実現したミラノダービーでの日本人対決
イタリア、ミラノの本拠地を置く「ACミラン」と「インテル・ミラノ」のダービーマッチ。
2014年11月23日、イタリア伝統のミラノダービーで本田選手と長友選手の日本人対決が実現した!!
≪イタリア・セリエA≫(第12節)2014-2015シーズン
【ijawピックアップマッチ:日本人選手所属チーム同士の対戦】
ACミラン 1-1 インテル (現地時間11月23日の試合)
本田 圭佑(ACミラン:イタリア)/ ポジション:MF
1対1と同点の後半28分から途中出場した。
長友 佑都(インテル:イタリア)/ ポジション:DF
右サイドバックで先発フル出場。
1点ビハインドの後半16分に右サイドから長友選手の上げたグランダーのセンタリングが起点となり同点ゴールが生まれた。
わずか17分間という時間だったが、ミラノダービーで初めて日本人対決が実現した。
あとがき
2017-2018シーズンから本田選手がメキシコ・パチューカに移籍。さらに冬の移籍市場で長友選手がトルコ・ガラタサライへ移籍したことで、ミラノダービーでの日本人対決は当分観ることはできないだろう。
長友選手は半年間のレンタル移籍なので、来シーズンにはインテルに復帰する可能性はある。だが、ACミランが再び日本人選手を獲得することはあるのだろうか。または、2018-19シーズンで新たに日本人選手がイタリア・セリエAに挑戦するのだろうか。
イタリアでプレーする日本人選手がいないのは残念だが、セリエAで日本人選手の躍動を観戦したいものだ。
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