長谷部誠:ドイツ・ブンデスリーガにおける10年の軌跡

 長谷部誠。サッカー日本代表サポーターとしてこの男の名前を知らない人はいないだろう。

 ドイツ1部リーグ、フランクフルトに所属する34歳のミッドフィールダーで、日本代表ではキャプテンを務める。2008年1月にドイツ1部リーグのヴォルフスブルクに移籍してから10年。海外に行ってからはずっとドイツで一筋でプレーしている。長谷部選手のドイツでの10年の軌跡を振り返ってみよう。

クラブ在籍歴

2002-2007:浦和レッズ
2008-2013:ヴォルフスブルク(ドイツ)
2013-2014:ニュルンベルク(ドイツ)
2015-  :フランクフルト(ドイツ)

 2008-2009シーズン、ヴォルフスブルクに移籍してから2シーズン目、ドイツ・ブンデスリーガを制覇する。2013-2014シーズンに移籍したニュルンベルクでは2部降格を味わってしまう。2014-2015シーズンからフランクフルトに移籍するが、2016-17年シーズンにチームはリーグ16位で終え、1部2部入れ替え戦へ。相手は古巣のニュルンベルク。フランクフルトが勝利して1部残留を決めたが当時の複雑な心情をコメントに残している。

 何の因果関係があるのかはわからないが、2部降格に関わった一選手が今度は1部昇格を掛けた試合で敵として立ちはだかり1部昇格の夢を打ち砕く。勝負事は時として非常に残酷だ。

 現在、フランクフルトではキャプテンマークをつけてプレーすることが多い。2017-18シーズンはボランチというよりリベロのポジションでプレーすることが増えたように思う。リベロでのプレーが増えたことで「日本のベッケンバウアー」と称賛を含めて例えられることもある。またフランクフルトでの活躍が認められ、現役引退後はフランクフルトの将来の幹部候補として迎えられる可能性があるとも地元紙「フランクフルター・ノイエプレッセ」が伝えている。

長谷部誠とは究極のユーティリティプレーヤーである

 現在の本職はボランチだが、それはドイツに行ってからだと断言したい。浦和レッズ時代はもっと得点に絡むプレーが多かったように記憶している。

 例えば「2004年8月29日(日) J1リーグ戦 2ndステージ 第3節 磐田戦」
 [参照サイト]J’s GOALニュース

 2対2と同点の後半44分、ドリブルでしかけて左足で浮かせる芸術的なシュートで決勝点を決めたシーンが特に印象に残っている。

 ちなみにだが、YouTubeに映像も出ている。「長谷部 浦和 ゴール 磐田」で検索すれば出てくるので、ゴールシーンが気になった方は映像を確認してもらいたい。

 ドイツでは、本職の中盤のポジションに加えてサイドバック、時にはゴールキーパーまで務めることもあった。キーパーについては、味方のキーパーが退場となり交代枠を使い切っていたこともあって仕方がない場面ではあるが、監督からの指示で代わりにキーパーに入ることを指名されるというのは、チームの戦術を理解度し、チームメイトから信頼されている選手だといっても過言ではない。

 ザッケローニ監督時代の日本代表ではトップ下を務めたこともあった。これまで不動のトップ下として君臨していた本田選手が怪我(右膝半月板損傷)のため長期離脱していた頃だ。香川真司選手、清武弘嗣選手とトップ下の代役になる選手がいたのにも関わらず、2014ブラジルW杯アジア3次予選のウズベキスタン戦(2011年9月6日)で、長谷部選手がスタートでトップ下に入っていたのには驚いたものだ。

マガト監督の指導があったからドイツで10年プレーできた?

 2007-2008シーズンの1月にヴォルフスブルクに移籍した当時の監督がマガト氏だった。マガト氏は「鬼軍曹」と呼ばれ「軍隊式トレーニング」といわれるほど練習が厳しいということで有名だ。厳しい練習に耐えた結果、ドイツで戦うためのフィジカルが作られたことでシーズンを通して好調を維持し、チームの2008-2009シーズンブンデスリーガ制覇に貢献しているので、練習は嘘をつかないということなのだろう。

 画像がないため視覚的な部分から検証できないのは残念だが、当時一目でわかるくらいに体つきが格段に進化していたのを鮮明に覚えている。言葉で表現すると体の線が細かったが、ブンデスリーガでの激しいフィジカルコンタクトに耐えれる強靭な肉体を作り上げたというのは間違いではない。

 2009-2010シーズンからマガト監督はシャルケ監督に就任するも、2010-2011シーズンの3月にヴォルフスブルクに復帰し再び師弟関係が結成される。だがこの後長谷部選手にとって困難が待っていた。

 2011-2012シーズンは、長谷部選手の出場機会はあるものの本職以外のポジション(サイドバック)で起用されることが続いた。本職のポジション(ボランチ)で勝負できない現状に難色を示し、2012年夏に移籍を志願したことが原因といわれているが、2012-2013シーズンが開幕してから長谷部選手は怪我でもないのに8試合連続ベンチ外と完全に干されてしまったのだ。

 チームが低迷していたこともありマガト監督が解任され、その後スタメンに返り咲いた経緯がある。Googleで「長谷部 マガト」で検索すると「確執」と出てくるのはそのためなのだろう。確執かどうかは当人同士しかわからないので、ここでは触れないでおく。

 個人的な意見だが、マガト氏の「軍隊式トレーニング」によって鍛えられた日本人選手は、その後日本を代表する選手にまで成長する方程式が成立すると自負している。長谷部選手と内田篤人選手の二人しか実績がないが、二人のこれまでの活躍を見ていると納得していただけるのではないか。当初Jリーグにいたときよりも人間性が大きく成長しているのも理由の1つだ。軍隊式トレーニング、ドイツで人間性の成長がブンデスリーガでプレーしてきた10年の軌跡となっている。

あとがき

 筆者は2015年1月にドイツを訪れたことがある。

 この時期はブンデスリーガがウィンターブレイク中だったため、試合を観戦することは出来なかったが、フランクフルトのホームスタジアムであるヴァルトシュタディオンは中央駅からそこまで離れていなかったので立ち寄ることにした。

 しかしタイミングの悪いことにアジアカップ日本代表メンバーに選ばれていたため不在。だがチームの練習を目の前で見れたし、鈴木武蔵選手がテスト生として練習参加している場面に遭遇できたことは良かった。

 次回訪れる時はシーズン中に試合と公開練習を見に行こうと考えている。フランクフルトを訪れた日に思いをはせながら。

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